2008年05月08日 (木) | 編集 |
こんにちわ〜(^^)
すっかり初夏の陽気ですねぇ〜梅雨に入る前の一番良い時期かもしれませんね☆
ゴールデンウィークは皆様ゆっくり休めましたか??余計にお疲れになった方も多いでしょうね(^^;)私はこのゴールデンウィークは前回のブログにも書きましたが神戸や大阪に行っていましたが、遠くに行かなくても近場を散歩っていうのも意外と楽しいものです☆この間少し時間があったので子供と篠山城周辺を散策してきました。

篠山城は慶長14年に建てられ来年で築城400年になるそうです。そこで今篠山は築城400年祭に向けて色々なイベントなどの企画を準備されています。私は篠山出身で小さい頃から遠足やピクニックや学校行事で篠山城に行ってお弁当を食べたり、春にはお花見、夏にはデカンショ祭りに行ったりと何度も篠山城には来ていましたが全く詳しいことは知らず『お城って言ってもお城ないし石垣だけやし〜』とか思ってたのですが、平成14年に復元された『大書院』に初めて入ってみて色んな事を知りました。お城といえばあんみつ姫や一休さん、バカ殿様のイメージが強くて‥‥お殿様が居て平和に暮らしている立派な『天守閣』あってこそ!!と思っていたのです。しかしお城の本質は天守閣ではなく『縄張り』篠山城も関が原の戦いに勝利した徳川家康が豊臣氏の居城である大阪城の包囲と豊臣ゆかりの西国諸大名を抑える拠点とするために築城しました。そしてこの篠山城はその堅固たる石垣こそ立派に城としての役割を果たしていたのです。

しかも石垣もよく見るとなんとも技巧的で芸術的です。篠山城の石垣は現在の真南条などの石切り場から運んできた自然の石で出来ていますが石垣の角は算木積みと言われ加工した石を綺麗で且つ崩れにくくする手法が用いられています。この石のあちこちに○や×等の印が所々に見られますがこれは諸国大名が寄進した証に刻印されているといわれ、普請総奉行で姫路城城主の池田(三左衛門)輝政のものと言われている『三左之内』と書かれた石がありこれを探して見て回るだけでも結構楽しいです(^^)



またこの印はその意味だけにあらず、現場の石工さん達が作業工程上石の識別をし、組み立てやすいように加工場で印をつけていたともされています。なにせこんなに大きい石垣と大書院などのたてものがあるのに6ヶ月で建てさせたというから恐ろしい。途中家康はなかなか進まない築城に苛立ち縄張り奉行の藤堂高虎に現地に行かせ建築を早めさせたとか‥篠山城に天守台はあるがなぜ天守閣がないかは、その堅固すぎる石垣に不満を持ち『天守閣はつくらない!!』命じたとからしいです。

天守台からの眺め。
社長の命令に設計士や現場監督はあたふたし、職人は厳しく工事を早くしろとせかされたという感じでしょうか(^^;)そのせいで農作業や農民の暮らしそっちのけだったようです。田や畑、山の近くに現在でも石切り場には石を砕いたり運び出そうとしていたそのままで残っているところもあるようです。
って知らなかったのはこの無知な私だけ!?(uu;)笑
まだまだ見所はありますが私の文章は篠山城大書院内のシアター室上映ののビデオのうけうりなので(笑)詳しく知りたい方興味のある方は篠山城・復元された大書院(大人400円、大学・高校生200円、中学・小学生100円)にどうそおこしくださいませ〜♪





写真貼りすぎました(uu;)
すっかり初夏の陽気ですねぇ〜梅雨に入る前の一番良い時期かもしれませんね☆
ゴールデンウィークは皆様ゆっくり休めましたか??余計にお疲れになった方も多いでしょうね(^^;)私はこのゴールデンウィークは前回のブログにも書きましたが神戸や大阪に行っていましたが、遠くに行かなくても近場を散歩っていうのも意外と楽しいものです☆この間少し時間があったので子供と篠山城周辺を散策してきました。

篠山城は慶長14年に建てられ来年で築城400年になるそうです。そこで今篠山は築城400年祭に向けて色々なイベントなどの企画を準備されています。私は篠山出身で小さい頃から遠足やピクニックや学校行事で篠山城に行ってお弁当を食べたり、春にはお花見、夏にはデカンショ祭りに行ったりと何度も篠山城には来ていましたが全く詳しいことは知らず『お城って言ってもお城ないし石垣だけやし〜』とか思ってたのですが、平成14年に復元された『大書院』に初めて入ってみて色んな事を知りました。お城といえばあんみつ姫や一休さん、バカ殿様のイメージが強くて‥‥お殿様が居て平和に暮らしている立派な『天守閣』あってこそ!!と思っていたのです。しかしお城の本質は天守閣ではなく『縄張り』篠山城も関が原の戦いに勝利した徳川家康が豊臣氏の居城である大阪城の包囲と豊臣ゆかりの西国諸大名を抑える拠点とするために築城しました。そしてこの篠山城はその堅固たる石垣こそ立派に城としての役割を果たしていたのです。

しかも石垣もよく見るとなんとも技巧的で芸術的です。篠山城の石垣は現在の真南条などの石切り場から運んできた自然の石で出来ていますが石垣の角は算木積みと言われ加工した石を綺麗で且つ崩れにくくする手法が用いられています。この石のあちこちに○や×等の印が所々に見られますがこれは諸国大名が寄進した証に刻印されているといわれ、普請総奉行で姫路城城主の池田(三左衛門)輝政のものと言われている『三左之内』と書かれた石がありこれを探して見て回るだけでも結構楽しいです(^^)



またこの印はその意味だけにあらず、現場の石工さん達が作業工程上石の識別をし、組み立てやすいように加工場で印をつけていたともされています。なにせこんなに大きい石垣と大書院などのたてものがあるのに6ヶ月で建てさせたというから恐ろしい。途中家康はなかなか進まない築城に苛立ち縄張り奉行の藤堂高虎に現地に行かせ建築を早めさせたとか‥篠山城に天守台はあるがなぜ天守閣がないかは、その堅固すぎる石垣に不満を持ち『天守閣はつくらない!!』命じたとからしいです。

天守台からの眺め。
社長の命令に設計士や現場監督はあたふたし、職人は厳しく工事を早くしろとせかされたという感じでしょうか(^^;)そのせいで農作業や農民の暮らしそっちのけだったようです。田や畑、山の近くに現在でも石切り場には石を砕いたり運び出そうとしていたそのままで残っているところもあるようです。
って知らなかったのはこの無知な私だけ!?(uu;)笑
まだまだ見所はありますが私の文章は篠山城大書院内のシアター室上映ののビデオのうけうりなので(笑)詳しく知りたい方興味のある方は篠山城・復元された大書院(大人400円、大学・高校生200円、中学・小学生100円)にどうそおこしくださいませ〜♪





写真貼りすぎました(uu;)
ランキング参加中☆あなたのクリックがポイントになりますm(uu)m→





